厚木市 勇善会 空手道 スポーツ少年団
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 国際ホームページで公開した記事を元に適宜掲載しています。
2023.5.26増補
 簡単な空手の歴史
 空手は沖縄の武術です。琉球王国時代、国王の前で立派に型を演武することは沖縄の武士の重要な教養だったとのことです。明治時代のはじめの頃まで秘密主義の武術で簡単に弟子入りできず師匠の家で個別に学んだようです。大正時代に本土へ伝わってきました。
 「空手」という文字の公的な使用は1936年に沖縄県の学務課(今日の教育委員会)が学校体育として採用する上で当時の指導者達と協議した会議でなされました。「手」とか「唐手(とうで)」などといい、大正時代に本土へ伝播したさいは「唐手(からて)」で伝わりました。ただ「唐」という文字は日本では歓迎されず、また明治の沖縄で「空手」という文字を使う人もいて、さらに柔道や剣道と並ぶ日本国の正式な武道として教育に活かしていくという気概をもって「空手」が公的な用語として決定したわけです。
 昭和になると沖縄から来た師範を中核に組織化が進み、それぞれグループ名つまり流派を名のり始めました。 師範たちの教えた「型」には地域的(首里、那覇、泊)な違い、師匠による違い、影響を受けた中国武術の違いが反映しており、流派特有の戦い方や個性があり、特に那覇の空手と首里の空手はかなり違います。
 今日剛柔流・上地(うえち)流・松林流(小林流、少林流)を沖縄の三大流派といい、剛柔流・松濤館(しょうとうかん)流・和道流・糸東(しとう)流を本土の四大流派といいます。最近はさらに細かな会派や団体に分かれ、あるいは新しい流派が作られる傾向にあり、さらに沖縄にルーツを持たないキックボクシングなどから生まれた「カラテ」も現われ、空手の流派は複雑な状況になっています。

型の名称
 文字にして記録されることはほとんどなかったため型の名称は判然としない面が多く、たとえばセイエンチンという型は、遠い間合いの敵を鎮める「征遠鎮」、敵を引き寄せて戦う「制引戦」とかいろいろ書き方がありますが20世紀に推定されもので基本的には今でもカタカナ書きが主流です。近年、空手史の研究が進み空手に強い影響を与えた中国の南方の武術との比較研究からセイエンチンは少林拳の鷹拳の技法や風格が強く見られることから「青鷹戦」であろうとする説もあります。
 他にサイファは獅子法、シソーチンは蟋蟀(シソウ)戦と推定されています。そういう動物との関連を理解しておくと型を打つ(行う)ときのイメージになると思います。

2019.8.2 巻き藁(まきわら)
勇善会 これは「まきわら」という空手の代表的な練習用具のひとつです。これで正拳や手刀をはじめ、手足の各部位を鍛えます。上へいくほど薄くなるヒノキの柱でできており、先端には皮がまいてあります。そこを突きます。




 まきわらはたいへん弾力性があります。
鍛錬では正拳突きをしたらすぐ拳を引くという動作はせず、突いた瞬間、肩と甲骨の動きで拳をさらに押し込みます。そして、手がまきわらの弾力でハネかえってくるのを自然にひき手します。下の写真を見てください。
また写真をクリックすると打ち込んでいる動画がみられます。



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 空手の突きは、当たった瞬間と、押し込んだ瞬間の二つの衝撃のピークがあります。
中段を突くときは背骨を折るつもりで、上段を突くときは後頭部へ正拳が突き抜けるつもりで、と昔から言われています。


 空手の突きとボクシングのパンチは違うタイプの突きです。空手の突きは突きの衝撃を身体の奥まで押し込む突きです。だから、まきわらで鍛えた拳や手と全身の動きは板、カワラ、石、ブロック、レンガなど固い物を破壊する威力を持つわけです。
巻き藁を突くと、突きが全身の運動だということがよくわかります。空手は、まきわらで拳や手刀を鍛えるのが本当なのです。

2017.2.19 昔ながらの稽古法
 
空手伝統の練習方法のひとつ「掛け手」。下の画像をクリックしてください。
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 この写真は、相手の右中段逆突きを左内受けで受けると同時に右引き受けで袖を引っぱり相手の勢いを前方へ崩し、間髪を入れず相手の右腕を左回し受けして体のバランスを後方へ崩し、ガラ空きになった体に中段突きを入れるという、相手の重心をコントロールする訓練で、引き受け・裏受け・回し受けという剛柔流特有の受け技の感覚を体得する練習です。
 これによって相手の体のバランスを崩して相手を投げたり倒したりするコツを会得します。
 円運動は空手の原理です。